TRADITION
江戸から加賀へ
伝統の金沢佃煮
江戸、佃島ではじまった佃煮
小魚をおいしく、栄養豊かに保存する知恵
佃煮といえば佃島。江戸幕府の命により摂津の佃村(現在の大阪府西淀区佃町)から移住した漁民に与えられた地がやがて「つくだ島」と呼ばれるようになりました。
佃島の人々は城中ならびに緒家へ納める白魚漁や江戸市中での商いをなりわいとしていましたが、やがて残った小魚を醤油で煮て保存する方法を発案。
海が荒れて漁に出られないときの保存食として、最初は自家用の惣菜からうまれた佃煮は広く一般の人々に、また多くの使用人を擁する大店にも重宝されるようになりました。
佃煮は参勤交代の江戸土産として全国へ
加賀藩へも大名行列が伝えました
佃煮は国に帰る勤番侍の江戸土産にも使われるようになりました。
諸大名の統御が目的だった参勤交代。始まりは慶長五年(1600年)、加賀・前田利家の正室・お松の方(芳春院)にまでさかのぼる事ができます。初代藩主の正室、二代藩主・利長の母である芳春院は江戸で人質となって家康の誤解を解き、前田家を守りました。
やがて武家諸法度により参勤交代が制度化。
百万石の大藩だった加賀藩の行列は約2000名、往復の道中費用は現在にすると5億円を超えるといわれるほどでした。参勤交代により水陸交通や宿場町の整備が進み、佃煮をはじめ江戸の文化が全国に広がりました。
ごり、くるみ、加賀の産物を佃煮に
独自の味を創った金沢の佃煮
佃煮の技は全国に伝えられ、ここ加賀藩では発祥の地・佃島のような小魚佃煮はもとより、地元の特産品を使ったくるみ煮、ごり佃煮、二つの独自の味が生まれ、金沢の食文化が花開きました。
佃煮にするごり(鮴)はハゼ科の小魚で清流に住み、かつては市内を流れる犀川、浅野川、近隣の河北潟で豊富にとれました。白山の鬼ぐるみを米飴で炊いたくるみ煮は、ほんのりと香ばしく、滋味豊かなごり佃煮とともに口取りや祭料理に欠かせない味です。
佃の佃煮では金沢伝統の味を基本に、炭火焼など昔ながら技、保存食だからなおのこと鮮度の良い材料と厳選した調味料を用い、化学調味料や保存料などの添加物に頼らない佃煮本来のおいしさを大切にしています。
受け継がれてきた伝統の味を、皆様に
石川県食品協会から匠賞受賞の職人を筆頭に、培った味技を発揮して、私たちは佃煮の製造に携わっています。
製造にかかわる一瞬がすべて「お客様の美味しい」のために、毎回が真剣勝負です。
佃食品自慢の佃煮を、是非皆様、ご賞味ください。